他人に喜ばれる仕事がしたい

いつも同僚の悪口をこぼす父が嫌いだった。

元プログラマーの男性(31)は、国土交通省の官僚の父が夜遅くに帰宅し、シャワーを浴びる姿しか印象にない。「あいつに負けそうだ」。独り言のようなつぶやきが耳にこびりついている。

受験では有名大学を、就職では一流企業を求められた。反発し、プログラマーの専門学校に入学してからは、独り暮らしになった。

23歳のとき、金融系システムの開発会社に就職。4年後、経営が悪化し「派遣社員扱いで、子会社に行ってくれないか」と頼まれたのが、過酷な日々の幕開けだった。

100人余りの派遣社員は、全員がライバルだった。5カ月ごとの契約更新では毎回10人も切られた。

広いフロアは1人ずつ壁で仕切られ、キーボードをたたく音だけが響く。連絡は電子メール。交流はなかった。サービス残業を続け、期日に間に合わないと朝礼で「自己責任だ」としっ責され、給料から10万円以上もペナルティーで引かれた。

正社員は定時に帰り、派遣社員が何人もうつ病で辞めていく。ある朝、とうとう起きられなくなった。うつ病の診断。休職扱いから1年後、解雇された。

再就職先も、うつで長続きしない。昨年2月、ついにお金が1円もなくなり、アパートの家賃を滞納。実家に帰ると、父親から「独立した者がなぜ戻ってきた」としっ責され、あてもなく家を出た。

「飯でも食いなよ」

ネットで知ったもやいを訪ね、食べさせてもらった野菜いための味は、生涯忘れない。1週間、何も食べていなかった。涙と一緒に、ご飯を2杯かき込んだ。

数カ月が過ぎたある日。もやいの事務所を訪れ、ぐちゃぐちゃになっていたパソコンの配線を手際よく直した。「すごいね」。頼まれ事が次々に増えた。ホームページを新装すると、称賛の声が上がった。腕を頼られ、喜ばれるのは初めて。うれしかった。

好きなプログラマーになったのに、なぜうつ病になったのか、考えた。顧客やユーザーの顔が見えず、相手の喜びが伝わることもない。ロボットのように扱われていたことに、気づいた。

もやいで相談の仕事を手伝っていると、自分と同じように暗い顔をした20-30代の若者が、次々と訪ねてくる。

「おれも助かったんだから、この人だって助からなきゃいけない」

そう信じ、自分の体験を語り聞かせている。

中日新聞

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